穂高岳山荘前より
期日 2018/03/03~05
山域 北アルプス 穂高連峰 涸沢岳西尾根
メンバー Dai,Kazu
ついにこの日が来た。
5年前に山に帰ってきた時に立てた一つの目標だった厳冬期の奥穂高の山頂に立つ。
心と身体の準備が、自身を持ってチャレンジできるようになるまでに5年もかかってしまった。
出発の前々日には強い低気圧の影響で大荒れの天候に。積雪も多かったようだ。
これまで周到な準備をしてきたつもりだが少しのことが気になり不安が募る。
この不安な気持ちは知らない間に滲み出てしまっていたようで嫁に気づかれ『おまえメンタルよえ〜な!』と突っ込まれる。
しかし、厳冬期の北アルプス穂高連峰最高峰それも初めて行くルート。
きっと私でなくとも山を知っている者ならば、多少はナーバスになるはずだ。
だが、たとえメンタルが弱く、嫁にいじられようとも、私には気持ちを奮い立たせるだけの準備とトレーニングはしてきたつもり。いや、はずだ!
だとすれば、後私にできることは当日の好天を祈ることだけだ。
だとすれば、後私にできることは当日の好天を祈ることだけだ。
03日
私の都合で前夜発ができず早朝4時に名古屋発。
最近定番になりつつある牛丼屋で朝飯を食う。Daiは相変わらず大盛り。
新穂高の駐車場に着いたのは8:00を少し回った頃だ。
準備を済ませ8:45過ぎにスタート。
新穂高ロープウェイの駅にはおそらくは西穂へ向かうであろ多くの登山者で賑わっていた。
本日の予定はセオリー通り2400m付近のビバーク適地まで。
白出沢出合まではウォーミングアップと呼ぶには少々長い林道歩きだ。
ちなみに私は林道を歩くのが嫌いだ。
そんなことよりも私の祈りが通じたのか予報通り天候は素晴らしく良い。
まさに THE DAY だ!
まさに THE DAY だ!
ゆえに、春を感じてさえしまう陽気だった。
本当ならば2月中の厳冬期に行きたがったのだが私もDaiもいいおっさんなので仕事やら何やらで結局3月になってしまった。だが、3月といってもまだ3日。
出発前の時点では自分の中では少しおまけで厳冬期ってことにしようと思っていたのだが、これだけの陽気だとやっぱり厳冬期とは言えない、うっかり気づいてしまった。
先日の荒天でトレースの有無も気になっていたのだが出発時間が遅めなのも幸いし白出沢出合まではしっかりトレースがあった。
出合で少し休憩し腹ごしらえをして気合をいれる。
冬靴を履き20kg越えの荷物を担ぎ歩き始めれば、奥穂に向かって一歩一歩近づいていけば、なぜだかあれほど不安だった気持ちは消え、必ず奥穂のピークを踏んでやると私の気持ちはその歩みと共に高揚していくばかりだった。
取り付きにはしっかりとした目印が
西尾根の取り付き地点に到着し尾根の先を見上げれば聞いていた通りの急登が我々を待っていた。だがそこには綺麗な一筋のトレースが空に向かって伸びていた。
ついている。
多少の期待はしていたがこれで随分楽に行けるはず。
先行者に感謝しながら先に進んだ。
ところが、50mも上がらない場所で突然トレースは消えた。
一瞬ルートをロストしたのか?っと自分を疑う。
辺りを見回したがトレースの続きは何処にも無い。
どうやら先行者は撤退したようだ。
Daiと顔を見合わせ頷く。
だが、元々これは想定内。鬼ラッセルは覚悟の上。他人のトレースに甘えるつもりは毛頭無い。ワカンをつけDaiと進む。
しかし、急な気温の上昇で雪はかなり腐ってきていた。
雪面を踏み抜き、雪は崩れ、体力ばかり奪われ思うように前へ進まない。
ずいぶん長い時間地獄のようなラッセルをDaiと交代しながら進んだ気がする。
気がつけば辺りは赤く染まり始めていた。
時計を見ると時刻は16:30。高度は2050m.
Daiと相談した。
このまま無理をして予定の2400mまで上がり無駄に体力を消耗させるよりも、ここでビバークし翌日アタック装備に切り替え身軽になって行ったほうが登頂成功の確率は上がる。しかも早朝ならば雪も現状より締まっていることも期待ができる。
ちょうど今いる場所は少し整地をすれば幕営できそうな場所だ。
そうと決まればさっさと幕営し明日に備えたい。
ビールを1本だけ飲み、水を作って飯を食う。
明日の行動予定を見直し確認する。
今日の遅れを取り戻すため明日の出発は3:00に設定しなおした。
今日の朝も早かったため睡眠時間が足りていない。明日の朝も早い。
とすればさっさと寝たほうがよい。ということでもってきた酒すべては明日の登頂成功の祝杯用にとっておくことにして早めの就寝を選んだ。
04日
01:30 起床
さすがにこの時間では食欲も無い。
身体を温めるため1杯のコーンスープを2人で飲む。
後は、少し歩けば腹も減るだろうからそのタイミングで各自で行動食をとることにした。
03:00 出発。
ヘッデンを点け辺りを見回す。
目を疑う。そこにはなかったはずのトレースが我々のいく先に延びていた。
Daiの話だと夜中に足音が聞こえたらしい。
トレースを借り出発する。
昨日に比べれば雪の状態もかなり良い。もちろんトレースのお蔭もあって高度は面白いほど上がっていく。出発から3時間半ほどで蒲田富士にたどり着いた。
まだ辺りは濃いガスに覆われていた。
この先にはナイフリッジの通過と雪庇を避けていかなければならない。
先行者のトレースはあるものの信用してもいいものか迷う。このガスではルーファイも難しく厳しい。少しずつ慎重に先行者のトレースを追う。
しかし、そのトレースは完璧に近いまさに理想的なトレースだった。
そのトレースから恐らくは単独行であろう。私でなくとも、かなりの強者であることが容易に想像できた。
ナイフリッジを通過するるころには次第にガスが薄くなってきた。
薄くなったベールの向こうにはジャンがその影を見せはじめた。
薄いベールの向こうには
F沢のコルから涸沢岳に向かって登り返すころにはすっかりガスは取れ神々しい山々が姿を見せはじめた。それはまさに圧倒的な美しさだった。
目の前に迫る滝谷は圧巻だ
いつの日か残雪期のこの滝谷を出会いから登りきることが私たちの夢だ。
今の私にはそこに向かう自信と勇気は無い。
だが、いつの日か、、、。
そんなことを思いながらルンゼを超える。そこから尾根に合流し稜線を進む。
稜線に出ればそこから涸沢岳まではそれほど緊張する場所は無い。
しかし、今度は爆風に身をさらすことになる。
風は強いが気温がそれほど低くは無いのでそこまで辛くはなかったがそれでも体温は一気に持っていかれる。
アウターのフードを深くかぶり、いくつかの偽ピークを越えれば涸沢岳山頂に。
自撮りw
先ずは一つ。
ここまでは無事到達できた。だが、まだ感傷に浸っている時間は無い。
先に進まねば。我々が目指す頂はその先にあるのだ。
そこから一旦下り白出のコルへ。コルまでの下りはほぼ夏道が使えた。
我々が目指すべき場所はその先に
15分ほどで白出のコルに出た。
穂高岳山荘はほとんど雪に埋もれていた。
時折、爆風と共に地吹雪が襲っては来るがポカポカの太陽の光に照らされ暖かい。
冬期小屋の前で風を避け食事をとる。40分ほどまったりした。
さぁ。いよいよ最後の仕上げだ。
取り付き直ぐの岩場は梯子、鎖共に全て出ていた。
もう少し困難を想像し、また期待していたが意外にもあっさり山頂へ。
所詮その先は一般道ということなのか。
それでも、この瞬間のために、これまで頑張ってきたのだ。
その感動はやはり大きい。
奥穂高岳山頂より
かっこいいのでもう1枚w
最高のパートナーとw
Daiと知り合ってまだ3年。
たった3年ではあるが一緒に過ごした時間の濃さは、この時期のこの場所に一緒に来られたことが証明してくれているはずだ。
各々、しばらく感傷に浸る。いつまでもここにいたい気分だ。
だが、当然そんなわけにはいか無いので山頂を後にする。
穂高岳山荘の前で少しだけ一服し涸沢岳を登り返す。
涸沢岳から尾根を下る。
雪が悪い。
この日差しと気温でかなり雪が腐ってきていた。この雪質ではルンゼにはいるのはリスクが高いと判断し岩峰沿いに尾根を下る。
途中何度か切れた急斜面をトラバースするのだが足を運ぶたびに足元から雪面が崩れていく。
雪の状態一つで、登って来た時より格段に厳しくなっていた。
時間をかけゆっくりと慎重に下る。
時間はかかってしまったが無事蒲田富士まで戻ってこられた。
ある意味この腐った雪は厳冬期以上に技術が必要なのかもしれない。
蒲田富士を下り、樹林帯に入る。
その後も、腐った雪でズルズル滑り。踏み抜き地獄を味わいながら下山する。
右足を踏み抜き、それを抜こうとすれば左足が踏み抜く。
手をついてそこから出ようとすれば当然その手は埋まる。
まさに踏み抜き地獄。
踏み抜くたびに体力が削り取られていく。
辛い。それでも精神的には樹林帯には入り楽になった。
そんな時、先行者のシリセードの跡が、その上を歩いてみるとかなり楽になった。
本当はここに書くかどうか迷ったのだが、もしこの記事を読んだ方がこの涸沢岳西尾根を目指す時に少しでもリスクを減らすお手伝いになればと思い書かせてもらうことにした。
確か2400mを越えた辺りだったと記憶している。この辺は少し曖昧だ。
自分たちが登ってきたトレースを外し他人のシリセードのあとを追う。
その場所は先ほどまでの踏み抜き地獄から解放され快適だった。
その時、『パキン』っと大きな金属音のような音が、その瞬間私の身体は宙に浮いた。
目の前には青空が広がる。
やっちまった!
そう、私は4トントラック大の雪庇と共に滑落した。
時間はスローモーションのように流れた。死をこんなにも身近に現実的に感じたことは無かった。
その次の瞬間、一瞬茶色いものが視界に入った。
宙に放り出された身体は運良く壁の方を向いたのだ、左手のアックスを全力でその壁にめがけ振った。ガツンと腕と肩に強い衝撃を感じ私の身体は止まった。
アックスが木の根に引っかかってくれたのだ。
足元に目をやると20cmほどの雪のテラスがあった。
そっと降りるとわりとしっかりしていて立つことができた。
すぐに目の前の木の根にセルフを取り。自身の身体に異常が無いかを確認した。
身体に痛む場所はなく怪我も無いようだ。
とにかく一旦落ち着こうとポケットからタバコを取り出し火をつけた。
Daiは喉から血が出そうなほど私の名前を呼んでくれていた。
私も大声で無事を叫んだが周りの雪に音は吸収され声が届か無い。
それでもその後なんとか声の聞こえる位置までDaiが来てくれコミニケーションを取ることができた。
その場所からの自力での脱出は不可能だったのでDaiにロープを出してもらい脱出した。
途中ブランクはあるものの20年共にしてきたシャルレのアックスは私の身代わりとなって谷底に消えていった。
その後、下部を確認したが垂直部分は5mほどでそこから下はすり鉢状の雪のルンゼになっていた。なのでもしアックスが刺さらずそのまま滑落したとしてもそこまで大きな事故にはなっていなかったとは思う。
その場所は、雪庇の間から木も生えていて一見では尾根の端にしか見え無い。
緊張の続く危険地帯を過ぎ、樹林帯に入ったことで勝手に安全地帯だと思い込み危険に対するスイッチが切れてしまっていたのだ。
そう、樹林帯に入ったからといって安全が保障されているわけでは無いのだ。
私自身無事だったからこそ思うことだが本当に良い勉強になった。
たまたまこの記事を読んでいる貴方。
大き無いお世話かもしれないが、『こんなこともあるんだな』と心の隅にでも止めておいて欲しい。
その後は、踏み抜き地獄に戻り下山を再開。
テン場に戻ってきたのは18時を過ぎていた。
翌日は結構な雨が予想されていた。
雨の中での撤収はさけたい。
体力的にはまだ歩ける。おそらく2時間ほどで林道に出ることは可能なはず。
林道にさえ出てしまえば後はダラダラと歩いていけばいい。
少し休憩をしながら片付けをしテン場を後にしたのは19時半を回った頃だった。
その先も当然のように踏み抜き地獄は続く。
荷物が重くなった分さらに踏み抜く。辛い。
結局、新穂高に戻ってきたのは日付が変わった0:30分。
結果。行動時間は21時間。よく歩いたもんだ。w
車で仮眠し7時過ぎに高山を後にした。
いろいろあった今回の山行は私の記憶に深く残る山行になった。
一緒に行ってくれたDaiには本当に感謝いている。ありがとう。
雪庇の時は心配かけてごめんね。
まだ、もう少し雪のシーズンはつづく。
さて、懲りもせず次は何処を目指そうか?などと考えながら今回はこの辺りで。
みなさん!山は安全第一でいきましょうw
追記
おじさんの心の声
お兄ちゃん。
君がどんなスタイルでどんな山行をしようとも君の自由だ。
ただ、無謀とチャレンジを履き違えてはいけない。
ここは君がまだ来て良い場所ではなかった。
たまたま目に入ってしまった君のSNS。
それを見るまでは君のことには触れるつもりはなかった。
我々と力を合わせた?
少なくとも私にその意識は無い。
だが、これからもきっと懲りもせず山に登るであろう君に幸あれ。
I wanna climb with you again and again, my friend !
返信削除なになに?
削除ちょっとかっこいい感じできたねw
あざーっす
ちょっとかっちょいい感じで5時間考えた(ウソ、笑)
削除カズさん奥穂高岳登頂おめでとうございます!
返信削除イロイロお疲れさまでした!
話は改めてゆっくり呑みなが聞かせて下さい。
てか聞きたいです!!笑
イロイロ疲れましたwww
削除いいですね〜
ゆっくり飲みながら私達の珍道中聞いて下さい。w