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2020年9月8日火曜日

ひとりごと

  私がこのタイトルでブログを更新するときはおおよそ気分の良くない話だ。

なのであまり読んでもらわないほうがよいのかもしれない。

先日、北アルプスの某人気岳に日帰りで行ってきた。

さすがに超人気エリアでコロナ禍にあってもたくさんの登山者でにぎわっていた。

まさに老若男女いろいろだ。

あまり登山に慣れていないような方たちも多く、頑張って登っている姿は微笑ましくも

見えた。

そんななか今回の独り言は”トレラン”だ。

もともと私はトレラン(以下ランナー)にはあまり良い印象は持ってはいない。

それは私の個人的な感情なのでどうでもよいことだが。

そもそも山は自由だ。

なので登山道を歩こうが走ろうが私は勝手にすればよいと思っている。

また、ランナーがトレイルを外して走りそれが自然破壊になってるとか難しいことを

言っている賢い方もお見えのようだがそのあたりの事は私にはよくわからない。

それに登山者だってトレイルを外すことはよくある。

アルパインクライマーなどは、そもそも登山道を使わない(取り付きまでは使うが)

結局のところ、登山者でもランナーでも要はやりすぎないことが大切なのではないかと思う

どんなことでもそうだと思うが、度が過ぎれば問題になる。

ネットでもよく話題になっている登山者とトレランの共存的な考察をここでする気は

もちろんない。

なぜなら 私は難しいことを考えるのは得意ではないからだ。

ただ、今回は私が遭遇した、ちょっとどうかしている?ランナーに言いたいことがある。

山頂付近のテンバの奥にトイレに行くためだけの道がある。

そこを走るか?トイレに行くだけだろ?

ちびりそうなのか?

すれ違うのもやっとな道幅。私は意地悪なのでどかないが何人かの登山者は壁に張り付くよ

うに道を譲っていた。

それはもう、ただのトイレの順番ぬかしだ。

下山時後方から追い立ててくるランナー(本人はそんなつもりはないのかもしれないが)

どうしても、そう感じてしまうランナーは少なくはない。

それに、譲ったんだからせめて会釈の一つくらいはあってもよいのでは?

そんなことは思ってはいないのかもしれないが「おせー奴はどけや!」

「俺、はえーだろ!」的な感じがどうしても漂ってくる。

ご年配の夫婦や小さな子供を連れたおかあさん。奴らはそんな人たちにさえも無慈悲だ。

例え、そこが降りにくく危険な場所でも。

あまり山慣れしていなさそうな人たちが、恐る恐る降りている場所で背後から

攻め立てられるのだから、見ているこっちが怖い。

なかにはテンパって動けなくなる方もいた。

少し先にすれ違える場所があっても、一秒でも早く先に行きたい。そう感じる。

最近、巷で話題の「あおり運転」となんら変わらない。

悪質な「あおり運転」は、おまわりさんに逮捕されるらしい。

そんな奴らは県警の山岳パトロール隊に逮捕されてしまえばいいのにと思う。

もちろん、全てのランナーがそんな奴ではないことは私も知っている。

私の知り合いにも多くのランナーがいるがそんな奴はいない。はず?

今回、遭遇したなかの一人はたぶん経験の浅いランナーだと思うが、平坦な場所では全力で

走り、岩などで段差が大きく降りにくい場所は極端に遅い。

それでも、ゆっくりな登山者を押しのけてでも先に行こうとする。

流石に見ていて気分が悪い。

たいして早くもないので私が逆に後ろから追い立ててやることにしてみた。

すると、振り返ってサングラス越しに私の顔を見てきた。

自分でいうのもなんだが私は人相があまりよくない。

そいつは必死になって降りて行った。それでも私は意地悪なのでスリップストリームばりに

着いて行ってやった。あまりやりすぎて転んで怪我でもされると気分が悪いので

適当なところでやめたが。

やつも、これで少しは追い立てられる側の人の気持ちが分かったのではないだろうか。

冒頭にも書いたが「山は自由だ」だから私は登っている。

だが、自由を貫くためには責任が必要になる。

自由と責任は二個一だと私は思っている。

自由になろうとするほど、その責任は大きくなっていく事を知ってほしい。

今回、たまたま遭遇したランナーが、たまたまそんな奴だったからここに書いてみたが

登山者にだって非常識な奴はもちろんいる。

山に入るすべての人が、人と山と自然に敬意をもって接し自身への謙虚さを忘れなければ

きっと素敵な休日になると私は思うのだが、皆さんはどう思われただろうか?

今回、それっぽく書いてはみたが要するに山に行ったら「ちょっとイカれた奴」がいた。

ただそれだけの話だ。














2019年5月6日月曜日

ひとりごと

先日、白馬主稜に行ってきた。

初日に3峰まであがりビバーク。
翌日1峰の雪壁へ。私達パーティーの前に2パーティー。

順番を待って私が取り付く。
トップに向かってロープを伸ばす。

後ろを振り返ると沢山の人が上がってきていた。

私たちは4人、2パーティー編成で最後の雪壁を踏破。

私のパーティーが先行し、次に続くため取り付きで待つ2人。

私が抜けビレイに入りセカンドを上げる。

そんな頃どこかの(おそらくはガイドチーム)だと思うが横からすり抜けていく。

雪壁は幅も広いのでどこからでも上がることは可能だ。

しかし、出口は一つ。

ちょっとイラっとする。

その後それが発端となって他のパーティーもなだれ込む。

私たちのパーティーは分断される形になった。

次から次に後に続く。登攀者同士の間隔もない。

前の人が落ちたら確実に皆んな巻き込まれてしまうような距離だ。

怖くはないのだろうか?

そんなに慌てて登らなければいけないのか?

なにをそんなに慌てているのか?

その割には登攀後、小屋でゆっくりしていた人も目に付いた。

他のパーティーのことをどうこう言うつもりはないが上からのビレイを見ているともうめちゃくちゃだ。

それで確保できているのか?セカンドがもし落ちたらその姿勢で耐えられるのか?
私にはどう見ても確保できるようには見えない。

小柄な女性がリードしスキーの板を担いだ男性をビレイしてる。

セルフも取らずしゃがみこんで肩絡みふうな格好でロープを握る女性。

もし、後続が落ちれば(雪壁なのでクライミングのような落下はないので)ずり落ちながら止まるはずの後続が上のビレイ者を引きづり込むような形になるのは明らかだ。

落ちないのが前提のビレイやーが多すぎる。

万が一のためのロープによる確保。

万が一だから適当なのか?

そんなビレイならロープを出さず、各自フリーで登った方がどれだけリスクが少ないか?

白馬主稜は技術的にはそんなに難しい場所は少ない。
どちらかといえば体力勝負なルートだと私は思う。

だからと言ってそういう技術がいらないわけではない。

仲間を落とさない。怪我をさせない。もちろん自分自身も。

最低限のルールはここに尽きると思う。

その確保で自分と仲間を守れるかもう一度考えてほしい。

そして、そんなやつらに巻き込まれ事故にあうのも全くゴメンだ。

2018年6月21日木曜日

ひとりごと

人が死んだり大きな怪我したり行方不明になったり。

これって、悲しいことだが、私たちの日常に当たり前に存在することだ。

別に山に行かなくても。

山で遭難事故があるたびに山に登るという行為自体が『悪』のように感じられてしまう取り上げ方を度々目にする。

中にはホントなめてるやつもいるのは確かなことだがそんな奴はほんの一部だ。
一般的な社会にだってなナメ奴はいる。

しっかりと準備していても悲しいことだが不慮の事故はある。

もちろん。それは、山じゃなくても。

錫杖岳 前衛峰 1ルンゼ

 期日 2025/2/22~24 山域 北アルプス 錫杖岳 前衛峰 1ルンゼ メンバー かず・MA 昨年から狙っていた錫杖1ルンゼに行ってきました。 結果だけ見れば無事トップアウト。しかしながらパートナーMAの力は大きく、私の力不足を実感してしまう山行となった。 週が明け、アタッ...