2026年9月25日金曜日

あゝ、遥かなる屏風。

 


期日 2026/9/21~23

山域 北アルプス 穂高連邦 屏風岩 雲稜

メンバー かず・タカ・まぢこ・篠原(犬)

序章

何年も前から、ずっと心のどこかにあった屏風。

何度も計画したが、そのたびに天気に阻まれてきた。

それでも、いつかは。

そう思い続けてきた。

そして今回、ようやくその時が来た。


 横尾から涸沢方面へ向かうと、その行く手に圧倒的な存在感で鎮座する岩壁。

それが、屏風岩だ。

アルパインクライミングをする者なら、一度はあの壁に取り付いてみたいと思うのではないだろうか。

もちろん私も、その一人。

横尾から涸沢へ向かうたびに、その姿を見上げ、

「いつかはやらなければ」

そう思い続けてきたのだが、こちらは順調におじさん化が進んでいるw

いつまでも「そのうち」なんて言っていられる歳でもない。

憧れというより、もはや自分の中でずっとやり残している一本のような存在になっていた。

もちろん何度も計画した。

しかし、その度に悪天候に見舞われては流れ、ズルズルと時間だけが過ぎていった。

それでも今回、ようやく屏風岩へ行くことができた。

長かった。

本当に、長かったw

今回の計画は9月19日〜23日。

思い切って長めに入山し、横尾をBCにして、その中で条件の良い日を狙って登ろうと考えていた。

ところが、台風の影響に加えて前線まで居座り、天気予報はなかなか定まらない。

私は、これまでずっと狙ってきた一本に挑むような山行が、天候などの理由で流れた時、

山の神様が「お前にはまだ早い」と言っているんだ。

そう思うことにしている。

ならば次のチャンスまでに、もう少し準備をしておこう。

足りないものがあるなら、それを埋めてまた来ればいい。

そんなふうに、次へ向けた準備期間をもらったのだと思うようにしている。

今まで屏風の計画が流れるたびにも、そう思ってきた。

ただ……

今回もダメだとしたら、いったいこれ以上、私に何が足りないというのだ?

愛か?

愛なのか?w

結局、ギリギリまで日程を決めきれないまま、最後は22日の快晴予報を信じて一本勝負。

21日入山。

22日アタック。

23日下山。

これで行くことにした。

9月21日 入山

3時30分集合。

そのまま上高地へ向けて出発する。

本当なら、もう少し早い時間のタクシーで上高地に入りたかったのだが、シルバーウィーク真っ只中。

当然のように予約はいっぱい。

前日の夕方、キャンセルが出ていないかもう一度確認してみると、8時なら取れるとのこと。

この日は横尾まで行くだけなので、上高地入りが昼前になっても偵察する時間は十分ある。

それならいいかと予約しておいた。

ところが当日、タクシーは予定よりかなり早く到着。

7時30分前には出発することができた。

これはありがたい。

上高地に着くと、当然のように知り合いに会うw

そこから横尾までは、まぁ散歩みたいなもの。

徳沢では犬がコーラソフト、タカがソフトクリームを食べている。

朝からそれ?と聞くと、

「朝ごはんです」とのこと。

まぁ、本人たちがそう言うなら、きっと朝ごはんなのだろう。

そんな感じでのんびり歩き、昼前には横尾に到着。


テントを張り終えると、雨が降り出した。


雨雲レーダーを見ると、1時間くらいで止みそうだ。

いつもの私なら、このタイミングで雨が降れば、待ってましたと言わんばかりにビールを開け、うっかり偵察には行かない。

だいたいそんなパターンだw

しかし今回は違った。

それだけ今回の山行には、私なりに気合が入っていたらしいw

幸い雨は30分ほどで止んだ。

本当なら登攀具も持っていき、取り付き近くにデポしておきたかった。

ただ、このあと夕方にも雨が降る予報。

もし増水して、翌朝渡渉できなくなれば、デポした荷物すら回収できなくなる。

それはさすがに困る。


ということで、登攀具は置いて、傘だけ持って偵察へ向かうことにした。


今回の偵察で一番確認しておきたいのは渡渉地点。

事前に聞いていた場所へ行ってみるが、水量が多く、そのまま渡るのは厳しそうだ。

少し下流へ移動し、何とか渡れそうな場所を探す。


ここでタカ、なぜかズボンを脱いでパンイチで渡渉w

当然、女子2名からしっかり叱られていた。

……ように見えたが、女子2名も、そして本人も、なんだか少し喜んでいたように見えなくもなかったw

世間と山の水は想像以上に冷たい。

最初は足が痛いくらいだったのだが、真ん中あたりまで来ると、その痛さが足から体を突き抜けて、頭のてっぺんまで伝わってくる。

もう冷たいというより、痛いw

全員無事に渡り終え、そこからルンゼを30〜40分ほど詰める。

そしてT4尾根の取り付きへ。


渡渉地点と取り付き。

この2つを明るいうちに確認できたのは大きい。

明日は真っ暗な中からここまで来ることになる。

帰りも同じルートを戻る。

ルンゼを下り、再び渡渉。

私はまぢこのすぐ後ろ。

まぢこは慎重に渡っている。

分かる。

分かるのだが……

こちらは足の感覚がなくなるほど冷たくて、じっと待っているのが本当に辛いw

心の中では、

早くしてくれ。

頼むから早くしてくれ。

と何度も思ったが、さすがに渡渉中に急かすわけにもいかない。

無事に渡り終えたあと、そのことを話すと、

「私は軽いから、水圧に耐えるのが大変なんです」

と、少しキレ気味に言われたw

「なんかごめん」w

それでも明日は絶対、まぢこより先に渡ろう。

そう心に決める。

横尾へ戻り、とりあえずビールを買う。

テントに戻ると、なぜか誰もいない。

しかし、皆がそろうのを待てるほど私はできた人間ではないので、勝手に先にビールを飲んだw

外にいても快適な気温。

ビールを飲みながら、明日の登攀具を整理し、パッキングを済ませていく。

夕食担当は今回もまぢこ。

快く?引き受けてくれた。

この日の夕食は親子丼。

山ではあまり量を食べない私だが、珍しくおかわりまでしてしまった。

夕食も終え、ほどよい酔いと満腹感に満たされて、早々に就寝。

さぁ、明日は屏風だ。

長年追い続けてきた一本に、ようやく手が届くかもしれない。


9月22日 屏風岩・雲稜ルート

 3時起床。

いつものようにコーヒーを飲み、それぞれ朝食を済ませる。

4時、テントを出発。

昨日確認しておいた渡渉地点へ向かう。


 当然、今日はまぢこより先に渡るw

暗闇の中ではあるが、昨日歩いているので迷うこともない。

改めて、偵察の大切さを知るw

渡渉を終え、ルンゼへ入る前に登攀具を装着する。

この先は落石もあるので、取り付きでゴソゴソするより、ここで準備してしまった方がいい。

ルンゼを詰めていくと、次第に周囲が明るくなってきた。

予定通りだ。

そしてT4尾根取り付きへ。


 昨日の偵察効果もあって、ここまでは順調。

今回の登攀のパーティー編成は、

私と犬。

タカとまぢこ。

の2パーティー。

雲稜ルートは私たちが先行する予定なので、T4尾根はタカ・まぢこパーティーに先に行ってもらう。

T4尾根

1ピッチ目。

まぢこがリード。

通常なら、少しフリーで登って大きな岩の上にある支点まで行き、そこでセルフを取ってから1ピッチ目を始めるらしい。

下から見ると、取り付き自体はそれほど難しくなさそう。

ただ、大岩の上に乗ってから支点まで数メートル横へ移動するところが嫌らしい。

砂と小石が乗っていて、途中に支点もない。

もしここで滑れば、そのままルンゼへ落ちる。

普段は少しくらいぶっ飛んだところのあるまぢこだが、さすがにここは怖そうだ。

私が少し目を離した、その時。

ガラガラッ!

と大量の砂と小石が落ちる音。

タカが、

「あっ!」

と声を上げる。

私が見上げると、まぢこが1mほど滑り落ちていた。

ギリギリで止まった。

危ない。

何とか本来のスタート地点までたどり着いたが、そこにあるハーケンもかなり怪しい。

あそこまで行くこと自体が危険だし、支点も信用しづらい。

結局、その支点は無視。

下からビレイしたまま、そのまま1ピッチ目の終了点まで登ってもらうことにした。

ここで、これ以上時間とリスクをかけるのは得策ではない。

まぢこにロープをフィックスしてもらい、私はこのあと使うロープを背負って固定ロープを登る。

終了点まで上がってセルフを取り、今度はそのまままぢこのビレイをする。

その間にタカも固定ロープで上がってくる

2ピッチ目は私がまぢこをビレイし、タカは固定ロープで上がる。

最後に犬。

そんな形で時間を詰めながら進んでいく。

2ピッチ目は少し難しいと聞いていたが、1ピッチ目の出だしがあまりに悪かったせいか、むしろ快適に感じるw

2ピッチ目 終了点から


3ピッチ目。

出だしはスラブ状。

コンテでも行けそうな場所だが、土と落ち葉がかなり積もっていて、足元がよく分からない。

1ピッチ目のこともあるので、ここはロープを出す。

まぢこは、手で土や落ち葉を払いながら、足を置ける場所を一つずつ確認して登っていく。

丁寧で良いクライミングだ。

ただし、その土と落ち葉はすべて下でビレイしている私に降ってくる。

だが、あえてそこは甘んじて受け入れようw

その先は少し歩きになり、再びロープを出してT4テラスへ。

T4 テラス 直前

予定より1時間ほど遅れて到着。

そして、T4テラス。

ここから先が、今回の目的。

いよいよ雲稜ルートだ。

少し休憩し、不要なものはテラスに置いていく。

各パーティー1つずつザックを持ち、登攀に必要なものだけを持って壁へ入る。

雲稜ルート

1ピッチ目 50m 5.7

私と犬のパーティーが先行。

長年やりたかった屏風。

その最初の一歩を前にすると、珍しく少し緊張している自分がいた。

一度深呼吸。

そして右足から壁へ入る。

これは昔からの私なりのゲン担ぎみたいなものだ。

最初はほぼ真っ直ぐ。

やがて明瞭な右コーナーへ入り、小さなハングを越えてピナクルテラスを目指す。

5.7。

正直、少しナメていた。

最初の小ハングが、思っていたより悪い。

ハーケンは比較的しっかりしていて数も多いので、怖さはない。

ただ、ホールドが悪い。

左手で取ったホールドも、見た感じより小さく、次のムーブが起こせない。

一度もどって、テンション。

落ち着いて周囲を見直し、もう一度やってみる。

今度はあっさり抜けた。

終わってみれば、ここがルート全体で一番難しかったんじゃないかと思うくらいだった。

その後は少し右へ。

ピナクルテラスへ向かう。

テラス直下にも小さなハングがあるが、こっちは大したことはなかったw

トポでは50mとなっているが、実際には40mくらいだろうか。

終了点から犬を上げる。

ロープが順調に上がってくる。

そして途中で、

……止まった。

あ、ハングだなw

少し苦労しているようだが、何とか抜ける。

その先のもう一つの小ハングでは 「1つじゃないんか!」

という声が聞こえてきたw

無事ピナクルテラスへ。


2ピッチ目 40m 5.9

ピナクルを越え、小垂壁を右上気味に越えてフェイスへ。

そこから左上するルンゼに出て、扇岩テラスを目指す。

……と、トポにはあるのだが、ピナクルのトップに立ったところで、いまいち進む方向が定まらない。

確か、この辺りから右へ大きくトラバースするはずだ。

右方向へ目をやると、正面の垂壁上部にリングボルトが1本。

しかし、その先の支点は見えない。

少し下って右へ行くのか?

そう思って下を見ると、そこにもリングボルトが1本。

これで、さらに迷うw

ただ、下へ降りたところで、その先に続きそうなラインは見当たらない。

ならば上だろう。

とりあえず上部のリングボルトにクリップし、少し大きめに体を右へ振って、右上のガバに手を伸ばす。

両手をマッチすると、下からは見えなかった位置にハーケンが連打されていた。

あぁ、ここだ。

ようやくラインがつながった。

ここがトラバースのポイントだった。

事前にかなり予習していたので、ここは相当怖いのではないかと思っていた。

実際、足元は大きく切れ落ち、高度感はかなりある。

ただ、両手ともガバ。

足もスメアで十分効く。

そのうえハーケンもたくさんあるw

場所さえ分かってしまえば、思っていたほど恐怖感はない。

そこから先は扇岩テラスまでラインも分かりやすく、快適に登ることができた。

1ピッチ目の5.7が思った以上に悪かったので、5.9と書かれているこのピッチはかなり身構えていた。

しかし実際にはこちらの方が素直。

グレードとは裏腹に、むしろ2ピッチ目の方がやさしく感じた。

終了点もしっかりしたものがあった。

続いて犬をフォローで上げる。

この2ピッチ目、終了点からは犬の登り出しがまったく見えない。

おそらく犬の位置からも、私がどこを登っていったのかは見えていなかったと思う。

ロープを追えば進む方向は何となく分かるとはいえ、肝心のトラバースへ入る場所が分かりづらい。

やはり少し迷っているようだ。

今回はこんなこともあろうかと、無線を持ってきていた。

正解だった。

無線でラインを伝えながら誘導し、無事にトラバースを通過。

扇テラスから見た2ピッチ目

その後は順調に上がってきた。

そして辿り着いた扇岩テラス。

聞いていた通り、ここはビバークもできるほどの広さがある。

屏風の壁の途中、こんな場所で夜を迎え、月明かりに浮かぶ岩壁と、その向こうに広がる満天の星。

谷の向こうに浮かぶ稜線を眺めながら、静かな夜に酒を飲む。

綺麗なお姉さんに囲まれながら飲む酒も、もちろん美味い。

でも、こんな場所で飲む酒は、それとはまた別物なんだろう。

ひょっとしたら、人生で一番美味い酒になるのかもしれない。

……なんてことを、つい想像してしまうw

人工部分

3ピッチ目 A1 40m

このルート上で唯一の人工登攀ピッチ。

見上げると、ほぼ完全な垂壁。

フリーで登れば5.11c〜dあたりとも言われ、トポによっては5.12の表記もある。

ゲレンデでトライするならともかく、こんな場所でフリーにこだわる連中は、きっとどこかイカれているに違いないw

もっとも、私には関係のない世界だw

ということで、迷うことなくアブミを取り出し、先へ進む。

ボルト間隔は近く、人工としてはかなり登りやすい。

ただ、中には体重を預けるには少しばかり不安なものもいくつかあるw

こんなこともあろうかと、細引で作ったリングもいくつか用意してきたので、それも交えながら進んでいく。

すると途中で、リングボルトの終了点らしきものが突然現れた。

捨て縄とビナも比較的新しく見える。

これか?

ただ、ロープはまだ半分も出ていない。

トポの距離とも合わないし、ここから先どこまで人工が続くのかも、いまいちよく分からない。

残っている弾の数にも少し不安が出てきたので、いったんここでピッチを切ることにした。

人工はどうしても時間がかかる。

その間にタカ・まぢこパーティーも追いついてきて、下のテラスが急に賑やかになった。

犬が人工を登り始める。

すると突然、下から大爆笑が聞こえてきた。

なにやら楽しそうだ?

いや、そうじゃない。もう少し緊張感を持てよw

あとで聞くと、犬がハーネスからアブミを取ろうとして、なぜか水の入ったナルゲンボトルを掴んでリングボルトにクリップしようとして。

「違う〜〜!」

となったらしい。

犬は人工登攀の経験がそれほど多くないので、もう少し苦労するかと思っていた。

最初こそ少し手間取っていたようだが、何回か掛け替えているうちに練習した動きを思い出したのか、どんどんスムーズになっていく。

そのうえ、しっかり爆笑まで取ったのだから、ある意味完璧だw

犬が上がってきたところで、もう一度トポを確認。

どうやら4ピッチ目は、まだ少し人工を続けたあとフリーへ移るようだ。

少し上を見ると、しっかりした終了点も見える。

おそらく、あれが本来の3ピッチ目終了点なのだろう。

トポの40mという距離は少し長い気もする。

実際には30mほどではないだろうか。

ここでまた少しだけ上がってピッチを切り直すのも効率が悪い。

なので、ここを3ピッチ目の終了点として、そのまま次へつなげることにする。

3ピッチ目を終えた時点で、予定よりかなり時間を使っている。

このままのペースでは、タイムリミットまでに抜けるのは厳しそうだ。

少し嫌な感じが頭をよぎる。


4ピッチ目 40m Ⅳ・A1(5.9)

 ハング下を右へ出てルンゼを渡り、垂壁からテラスへ抜けるピッチ。

3ピッチ目を少し手前で切っているので、出だしはまだ人工。

このまま人工で行ってもいいが、時間も押している。

A0を少し交えればフリーでも行けそうなので、そのまま力技で登っていく。

本来の3ピッチ目終了点らしき支点を通過。

そのまま4ピッチ目へつなげる。

ハング下まで上がり、そこから右へトラバース。

2ピッチ目と違って、進む方向は分かりやすい。

トラバースの入り口ではカムが1本決まる。

問題はそこから。

5〜6mほど、ほぼ支点が取れない。

古いハーケンらしきものはあるが、とても使える状態ではない。

しかもホールドはどれも信用できない。

手をかければ欠け、体重を預けようとすれば剥がれそうになる。

次に出す手も、次に乗せる足も、ひとつひとつ確かめながらでないと不用意にムーブを起こせない。

足元は草付きで土も出ていて、なんとも気持ちが悪い。

たった数メートル。

されど、この数メートルがかなりシビレた。

何とかトラバースを抜ける。

本来なら、ここからルンゼを渡って垂壁を登り、その先の終了点まで抜けるピッチ。

実際、その終了点も進む先に見えている。

ただ、このまま進むとロープがかなり屈曲しそうに見えた。

しかもトラバースを越えてからは支点も取れていない。

この状態で、フォローの犬が万が一落ちれば、大きく振られることになる。

そこで、ルンゼを渡る手前にあった支点で、いったんピッチを切ることにした。

セルフを取り、続いて犬をフォローで上げる。

犬は、残っていた3ピッチ目の人工部分をアブミを使わずに上がってくる。

少しハングした場所もあり、

「厳しかったらアブミ出してね」

と伝えるが、

「行きます」

と、そのまま突破。

犬と登るようになって、まだ1年と少し。

こういうところを見ると、ずいぶん強くなったなと思う。

ただ、ここからがこのピッチの嫌なところ。

問題のトラバースだ。

入る前に犬へ、

落ちればかなり振られること。

岩が脆く、ホールドも安定していないこと。

急ぐ必要はないので、とにかく慎重に。

そう伝えて、こちらから見守る。

改めて見ると、なかなか嫌らしい場所だ。

足元は細い草付きと土。

そのすぐ下はスパッと切れ落ち、谷底まで一気に高度感が広がっている。

岩の部分も決してきれいなフェイスではなく、草や土の間に出ているホールドを拾いながら横へ移動していく感じ。

しかも、この先に安心して体重を預けられる支点はない。

犬も、それは十分分かっている。

ひとつホールドを触っては確かめ、足を置いては荷重をかけられるか確認する。

普段より明らかに動きが慎重だ。

恐怖心と闘っているのも、見ていれば分かる。

距離にすればほんの5〜6mだが、妙に長く感じる。

こちらも余計なことは言わず、ただ見守る。

そして最後の数歩を慎重にこなし、無事にトラバースを抜けた。

終了点まで来た犬の姿を見て、こちらもようやく緊張が解けた。

見ているだけでも、なかなかシビレるトラバースだった。


5ピッチ目 40m 5.7

 スラブのクラックから小ハングを左へ抜け、そのままスラブへ。

4ピッチ目を少し残しているが、そのままつなげて5ピッチ目に入る。

ここからは斜度も少し落ち着いてくるので、スラブではあるが割と快適。

ハーケンも多く見つかるが、どれも古い。

さすがに全部を信用する気にはなれないので、ところどころカムで補強しながら進む。

特に苦労することもなく、そのまま終了点へ。

犬もこのピッチは問題なく上がってきたようだ。

5ピッチ目に入る頃には、斜度も少し落ち着き、登攀もかなりスムーズになってきた。

ここからは思ったほど時間もかからない。

少しずつ遅れを取り戻していく。

5ピッチ目 終了点から

そして最終ピッチを前に時計を見る。

これなら、なんとか間に合う。

さて。

次はいよいよ最終ピッチ。


6ピッチ目 30m Ⅳ

 ルンゼ状のスラブ。

このピッチも前のピッチ同様、スラブが続く。

少し湿っている感じはあるが、特に問題はない。

ここまで来ると、少し消化試合のような感覚もある。

ただ、高度感は素晴らしい。

振り返れば、ここまで登ってきた屏風の壁と、その下に広がる景色。

最後まで、気持ちのいいピッチだった。

そして無事、終了点へ。

6ピッチ目 終了点から


犬を迎え、2人で完登の喜びを分かち合う。

長かった。

いろんな意味で、本当に長かった。

ようやく、屏風を登ることができた。

6ピッチ目の終了点で、タカたち後続パーティーを待つことにした。


ここまでほとんど何も食べていなかったので、行動食に持ってきたアップルパイを犬と食べる。

うまい。

しばらく待ったが、ハンギングのままではだんだん辛くなってきた。

それに時間もかなり押している。

ここで全員が揃うまで待ってしまうと、この先の懸垂下降でも待ち時間が増え、その分だけさらに遅くなる。

3ピッチ目付近の懸垂用支点までは登攀ルートともかぶらない。

ならば先に降りておいた方がいい。

そう判断して、犬と先に下降を始めることにした。

懸垂の準備をして、とりあえずひとつ下の支点まで降りる。

次の支点に着いて横を見ると、ちょうどまぢこが5ピッチ目の終了点にいた。


こちらが先に下降することを伝える。

するとまぢこが、

「最終ピッチ、どうでした?」

と聞いてきた。

「まぁ、わりと消化試合みたいな感じだったよ」

と答える。

すると、

「もう時間なんで、私たちはここでやめます」

とのこと。

5ピッチ目終了点


自分たちだけ目標の終了点まで行ってしまったことに、少し申し訳なさも感じた。

ただ、今回は初めてのルート。

できれば懸垂下降の途中で暗くなるようなことは避けたい。

ここから最終ピッチへ進めば、その分だけ下降開始も遅くなる。

そう考えれば、ここで切り上げるのは良い判断だったと思う。

「気をつけて降りてきてね」

と伝え、私たちはそのまま下降を続ける。


4ピッチ目で大きく右へ回り込んでいるため、下降ラインは登ったルートとは少し違う。

真っ直ぐ降りていき、3ピッチ目の少し右側へ。

そこから左へ寄りながら懸垂し、3ピッチ目の終了点へ合流する。

3回目の懸垂では、かなり左へ振らなければならない。

2回目の懸垂を終えたあたりで下を見ると、どう見ても扇岩テラスまでロープが届きそうに見えた。

なら、このまま行けるな。

そう思って下降を続ける。

……届かないw

仕方なく少し登り返し、登攀時に3ピッチ目を途中で切った支点へ戻る。

そこで犬を待つ。

ただし、ここは本来の終了点よりかなり居心地が悪い。

犬が降りてきて一言。

「なんで、ここで切ったんですか?」
「いや……テラスまで届いてるように見えたんだって」
「でも、上にちゃんと支点あったじゃないですか」
「いや、それは分かってたんだけど……届くと思ったんだって」
「なんでですか?」
「だから、そう見えたんだってw」


その後、無事に扇岩テラスへ着いてからも、
「なんで、上じゃなかったんですか?」
「だから、ごめんってw」

しかもその懸垂中、ロープが少し引っかかった。

犬に、

「ちょっと引けない?」

と声をかける。

「どっちのロープですか?」

と聞かれ、

なぜか私の口から出た言葉は、

「だいだい!」

「……だいだい?」

……。

「何色ですか?」

「だから、だいだい!」

ロープは青と緑である。

犬も、

「だいだい?」

私も、

「……だいだい?」

体だけでなく、頭の方もだいぶ怪しくなってきていた。

疲れというのは恐ろしい。青と緑しかないのに、なぜか「だいだい」が出てくるw


扇岩テラスからは、あと2回ほどの懸垂でT4テラス。

ようやくT4へ戻る。

犬にコール。

下から犬の懸垂を見上げていると、なんだか少し上手くなったように見えた。

彼女の成長なのか。

それとも、私の疲労で見る目がおかしくなっていたのかw

T4テラスで水を飲み、荷物をまとめる。

私の水はほぼなくなっていたので、犬から少しもらう。

飲もうとすると、

「がぶ飲み禁止っす」っと

はい、、、w

その頃、まぢこ達も雲稜の最後の懸垂ポイントまで降りてきた。

こちらは先にT4尾根を下降することを伝える。

T4尾根は4回ほどの懸垂。

順調に降り、ようやく取り付きまで戻る。

終わった。

あとはタカとまぢこを待つ。

そのうち辺りは暗くなってくる。

ギリギリだったw

完全に真っ暗になった頃、2人も無事に下降してきた。

4人全員そろった。

とりあえず、無事に戻ってこられたことを喜ぶ。

ここから横尾まではヘッデン確定。

もう急ぐ必要もないので、少し休んでから戻ることにする。

ルンゼの下降は単純だし、昨日偵察もしている。

渡渉地点にも問題なく到着。

水量は昨日より少し減っているように見える。

無事に渡り終える。

そこから河原沿いを少し歩けば、一般登山道へ出る。

……はずだった。

私と犬、なぜか何も考えずそのまま河原を歩き続ける。

しばらくして犬が、

「行き過ぎてませんか?」

私「そんなことある?」

地図を見る。

……めちゃくちゃ行き過ぎているw

2人で爆笑。

戻ると、タカとまぢこから、

「何してるんですか?」

、、、、、。w

少し戻り、無事に一般登山道へ。

そこから横尾までは問題なく歩き、ようやくテントへ帰還。

疲れた。

そして、もう一つ分かっていたことがある。

日が暮れた時点で、横尾の売店には間に合わない。

つまり……

ビールが買えない。

今日一番の危機である。

しかしここで神降臨。

まぢこが、なんとビールを1本持っていた。

犬は酒を飲まない。

ということで、私、まぢこ、タカの3人で350mlのビールを分ける。

たった350ml。

でも、この一杯がたまらなくうまい。

うまい。

うますぎるw

片づけはもう翌日に回すことにして、夕食はまぢこと犬にお願いする。

彼女達も相当疲れているはずなのに、本当にありがたい。

犬はまだまだ元気そうだなw

この日のメニューは、チーズリゾット?なるもの。

完成を待つ間、こちらは座ったまま完全に電池切れ寸前。

おじさんの私としては、

飯が先か。

睡魔が先か。

かなりギリギリの戦いだったw

なんとか睡魔にも負けず持ちこたえ、無事に夕食をいただく。

本当なら、もう少し今日の登攀のことをあれこれ話していたかった。

でも、もう時間も遅い。

あまり騒げば周りにも迷惑なので、この日はそのまま寝ることにした。

まぁ、続きは明日でいい。

9月23日 下山

最終日。

今日はもう上高地まで戻るだけ。

目覚ましもかけず、惰眠をむさぼってから帰るつもりだった。

……のだが。

結局、5時過ぎには目が覚めるw

そう、おじさんは早起きなのだ。

私がテントの中でゴソゴソし始めたせいで、まぢこも犬も目を覚ます。

なんか、ごめんw

その横でタカだけは、何事もなかったようにずっと寝ている。

コーヒーを飲み、昨日の夕食の残りを温め直して朝食にする。

その後はのんびり片づけを済ませ、帰路についた。

横尾からは、昨日登ったルートがよく見える。

改めて見上げると、

まぁ……なんというか、

すごい場所を登っていたんだなと思う。

やれてよかった。

それと同時に、4人とも無事に帰ってこられたことにも、こっそり感謝した。

その後は特に面白いこともなく、そのまま上高地へ。

タクシーであかんだな駐車場まで戻り、平湯で風呂に入って帰宅。

こうして、長かった屏風の山行は無事に終わった。


総評

ずっと行きたいと思いながら、何度も天候に阻まれ、気が付けばずいぶん長い時間が経っていた。

だからこそ、今回こうして実際に登ることができたことは、素直にうれしい。

雲稜ルート自体は、グレードだけを見れば今の自分にとって特別難しいものではないと思っていた。

ただ、実際に登ってみると、岩の脆さ、古い支点、草付き、ランナウト、ルートファインディング。

ゲレンデの数字だけでは測れない、いかにもアルパインらしい難しさが随所にあった。

そして何より、トポに書かれた数字だけでは表せない、素晴らしいルートだった。

特に4ピッチ目のトラバースは、今思い返してもなかなかシビレる。

そして今回は、一緒に登ったメンバーの成長を感じられた山行でもあった。

犬と組むようになって1年と少し。

人工もこなし、悪いトラバースも自分で越え、以前より明らかに強くなったように感じた。

まぢこも、T4尾根の出だしではヒヤッとする場面こそあったが、その後は落ち着いて登り、状況を見ながらしっかり判断していた。

以前より頼もしくなったなぁ、と感じる場面が何度もあった。

まぁ、犬の懸垂が上手く見えたのが彼女の成長なのか、私の疲労で見る目がおかしくなっていたのかは、未だに分からないがw

タカも含め、4人とも無事に戻れた。

結局、山ではこれが一番大事な事だと思う。

長年、抱き続けてきた屏風への思い。

何度も見上げ、そのたびに「いつか」と思ってきた壁。

その「いつか」に、ようやく手が届いた。

横尾から見上げる屏風は、登る前と何も変わらず、相変わらず大きくそこに立っている。

でも、それを見上げる私の気持ちは、少しだけ変わった。

もう「あそこを登らなければ」と思うことはない。

これからは、あの壁を見るたびに、

「あそこを登ったんだ」

と、きっと思う。

長いあいだ憧れ続けた景色が、今は自分の記憶の中にある。

それでいい。

あゝ、遥かなる屏風よ。



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あゝ、遥かなる屏風。

  期日 2026/9/21~23 山域 北アルプス 穂高連邦 屏風岩 雲稜 メンバー かず・タカ・まぢこ・篠原(犬) 序章 何年も前から、ずっと心のどこかにあった屏風。 何度も計画したが、そのたびに天気に阻まれてきた。 それでも、いつかは。 そう思い続けてきた。 そして今回、よ...